2020年05月15日

Contents このブログには、こんなことが書かれています。

uchidaillushireso.jpg
〔目次〕掲載日(深緑色の部分)をクリックすると、その記事を読むことができます。

1)私が、このブログを始めた理由
 ◆立石ブームは突然炎のごとく
  (2008年4月18日)

2)立石の飲食店
 ◆モツ焼き『宇ち多゛』
  本日も盛況なり(2008年4月22日)
 ◆朝から飲める街=立石と、ホッピーの話(2008年4月25日)
 ◆私の好きな店TOP5、第1位『栄寿司』(2008年4月26日)
 ◆私の好きな店TOP5、第2位『鳥房』(2008年4月27日)
 ◆私の好きな店TOP5、第3位『光陽楼』(2008年4月29日)
 ◆私の好きな店TOP5、第4位『ミツワ』(2008年4月30日)
 ◆私の好きな店TOP5、第5位『まりも』(2008年5月14日)
 ◆立石三代、創業大正13年、和食「魚つぐ」(2009年6月9日)
 ◆立石ではじめて明瞭会計方式を取り入れた『三松寿司』(2008年6月2日)
 ◆「呑んべ横丁」で安心して入れる店、『おでんや』(2008年8月31日)
 ◆大将は一心太助、寿司屋の「江戸安」(2008年9月3日)
 ◆1970年代風イタリアンの「チロル」(2008年9月4日)
 ◆「ミツワ」再訪/2009年春(2009年3月30日)
 ◆「栄寿司」再訪/2009年春(2009年4月3日)
 ◆「光陽楼」再訪/2009年春(2009年4月4日)
 ◆「おでんや」再訪/2009年春(2009年4月18日)

3)立石のその他の店

 ◆家人の大好物は、「愛知屋」メンチカツ(2008年5月17日)
 ◆手を上げれば、温泉行き。「東京天然温泉 古代の湯(2009年4月15日) 
 ◆葛飾の技を展示即売、「葛飾区伝統産業館」(2008年9月1日)

4)立石の商店街
 ◆キモは『立石仲見世商店街(2008年4月19日)
 ◆映画『間宮兄弟』のロケ地になった立石駅通り商店街(2008年4月24日)
 ◆終戦直後の娼婦が現れそうな「呑んべ横丁」(2008年8月30日)
 ◆「呑んべ横丁」赤線だったのか?(2008年9月9日)

5)立石にまつわる映画
 ◆ブームの原動力となった映画『間宮兄弟』(2008年4月23日)

6)立石にまつわる本
 ◆仲見世商店街が表紙に描かれた単行本(2008年4月20日)
 ◆「ひとりモツ焼き」常連女子による『悶々ホルモン』(2010年4月8日)
 ◆雨中奥戸橋の眺望画のごとし(永井荷風(2008年4月21日)
 ◆戦中と米軍占領期、立石には「慰安所」があった(2008年9月5日)
 ◆立石北口、『赤線跡を歩く』(2009年4月10日)
 ◆『綴方教室』の舞台は、葛飾区立本田小学校(2008年9月11日)
 ◆座談の名手、小沢昭一が訪ねたコンドーム発祥の地、東立石(2008年9月17日)

7)立石の再開発計画
 ◆鳥房が消える? 進行中の京成立石駅、鉄道立体化計画(2008年5月19日)
 ◆仲見世商店街もなくなっちゃうの?(2008年5月24日)
 ◆東立石4丁目、「防災街区整備地区計画」(2008年9月13日)
 ◆駅前の青写真は、デキそこないの六本木ヒルズみたい(2009年4月6日)
 ◆東立石4丁目、道路拡張計画、2009年2月の説明会(2009年4月9日)

8)立石のその他
 ◆立石赤線、「何もかも東京大空襲から始まった」(2009年4月14日
 ◆立石駅員一同からのイケてる猛暑見舞い(2008年8月28日)
 ◆11月16日、「呑んべ横丁祭り」開催!(2008年9月12日)
 ◆立石の賃貸情報・ワンルームは5万円前後から(2008年9月15日)



9)番外編
havirus.jpg ◆悶絶の歯根膜炎その1(2008年7月16日)
 ◆悶絶の歯根膜炎その2(2008年7月17日)
 ◆悶絶の歯根膜炎その3(2008年7月23日)
 ◆悶絶の歯根膜炎その4(2008年7月25日)
 ◆悶絶の歯根膜炎その5【1日目】奥歯に違和感
  (2008年7月26日)
 ◆悶絶の歯根膜炎その6【3日目】初診(2008年7月27日)
 ◆悶絶の歯根膜炎その7【8日目】激痛前夜(2008年7月31日)
 ◆悶絶の歯根膜炎 その8 【9日目】電光石火の激痛(2008年7月31日)
 ◆悶絶の歯根膜炎 その9 【10日目】抜髄(神経を抜く)(2008年8月1日)
 ◆悶絶の歯根膜炎 その10【19日目】根管治療(2008年8月2日)
 ◆悶絶の歯根膜炎 その11【20日目】どんでん返しの激痛(2008年8月3日)
 ◆悶絶の歯根膜炎 その12【23日目】穴を半開き(2008年8月6日)
 ◆悶絶の歯根膜炎 その13【31日目】穴を全開(2008年8月7日)
 ◆悶絶の歯根膜炎 その14【35日目】原因発見と抜歯(2008年8月14日)
 ◆悶絶の歯根膜炎 その15【42日目】抜歯後1週間(2008年8月15日)
 ◆悶絶の歯根膜炎 その16【46日目】抜歯後10日(2008年8月16日)
 ◆悶絶の歯根膜炎 その17【62日目】戦い終わって、夏が来た(2008年8月23日)
 ◆悶絶の歯根膜炎 その18 余談・「親しらず抜歯」の怖い話(2008年8月24日)
 ◆悶絶の歯根膜炎 その19 後日談・ウッソー!(2008年8月27日)

↑の画は、森英二郎が描いた「立石仲見世商店街」(2008年4月20日記事参照)。
うちの仕事場に飾ってあります。
*過去に書かれた記事でも、随時最新情報を更新しています。





posted by 柳田由紀子 at 18:32| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(1) | 目次 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月08日

「ひとりモツ焼き」常連女子による『悶々ホルモン』

悶々ホルモンロー.jpg 立石にまつわる本って、良書だけど地味か、過去のベストセラーか、このどちらかってのが相場でした。しかし、やっと登場しました。堂々の売れ筋本、『悶々ホルモン』(佐藤和歌子著、新潮社、1300円)。
 著者の佐藤和歌子さん(29歳)は、「焼き肉はひとりがいちばん」と説きます。私もたぶんに同感です。だって、焼き肉(特に、赤みじゃなくてホルモン類)こそ、自分のペースで、自分好みの焼き具合で食べたいもん。
 ところで、私は元来「おひとりさま」で、ラーメン屋には小学校低学年から、寿司屋と焼き肉屋、モツ焼き屋には、22歳で就職すると同時に「おひとり」デビューしています。しかし、そんな私でも、これまでかなり敷居が高かったのが「ひとりモツ焼き」。なぜって、他のお客さんたち(主にオヤジ)が、「ひとりホルモン」する私に、どことなく気を遣っているのがわかったからです。
 ところが、今年、ハッキリと変化を感じました。モツ焼き屋にひとりで入っても、誰も私に気を止める風もなし。私がオヤジ化しただけのことか? いやいや、これは『悶々ホルモン』効果でしょう。この本のおかげで、ひとりモツ焼き&焼き肉する女が増えた、ないし、認知されたのではないか、と拝察します。
 私事ながら、私の半生はオヤジ・イメージとの闘いでした。自分でもオヤジだと自覚はしているのですが、それでは世間が許さなかったから、なんとかオヤジ的側面を他人に見せまいと努めてきた。だけど、本書を読んで認識が変わりました。今の20代ホルモンヌに較べれば、私など、オヤジの末席に名を連ねることさえ憚られます。知らないうちに、あの娘もこの娘も、私(46歳)を遥かに越えた真性オヤジになっていたのね。
 二十の年齢差の重みと深さを痛感するとともに、これで、人生がだいぶ楽になったよ。
 さて、『悶々ホルモン』が紹介する立石の飲食店は2軒。「宇ち多”」「江戸っ子」です。本書には、他に関西、福岡、神奈川方面におけるホルモンの名店が紹介されています。それだけでも極めて貴重なガイドブックなのですが、何より著者のホルモン好きが素直に伝わる文章で、読んでいるこちらも幸せになりました。
 私自身は、豚の内臓なら立石「ミツワ」、牛のそれなら浅草「金楽」。この2軒さえあれば、それでハッピーなのですが、しかし、『悶々ホルモン』を読んで、一軒だけどうしても行きたい店が出現しました。浅草「きみまつ」。以下に一部引用。
「一品一品のレベルが異常に高い。豚のキンタマ食わせるくせに、品がよくて、敷居が低い。油断させといて、いつの間にかヤバイ世界に連れていく感じ」
 うーん、読んでいるだけで悶々する。なれど、ロサンゼルスから浅草はあまりに遠し。
 あぁ、『悶々ホルモン』、出国前に日本で読んでおくべきだった……。

→「ミツワ」2008年4月30日の項、参照




posted by 柳田由紀子 at 20:53| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月09日

立石三代、創業大正13年、和食「魚つぐ」

魚つぐ料理.jpg かつて、立石には、毎日にように腰紐を付けて、大きな秋田犬を散歩させる上品な老紳士がいました。それが、和食「魚つぐ」の先代、創業者のシマ氏です。
 氏が、仕出しを含めた魚屋立石に開店したのは、大正13年のことだったといいます。その後、魚屋の裏に和食店もオープン。以来、魚つぐは、長きにわたり真っ当な和食店として立石に君臨し続けています。

魚つぐおばさん.jpg お刺身、天ぷら、焼き魚、鍋物……とにかく、いろいろと和食を食べたいなら、向かうべき先は魚つぐです。春には山菜、初夏には鮎、夏には鱧、秋には松茸、そして冬にはアンコウや鴨など、季節の味覚も堪能できます。
 さすがだなあ、と感心するのは「寄せ鍋」。魚出汁のきいたスープは、プロでなければ出せない味だと心底思います。
 実は、以前、このお店の厨房を覗かせてもらったことがあります。あまりの広さに驚きました。まるで、『前略おふくろ様』や『拝啓、父上様』を見ているようでした。広い空間には、清潔感と緊張感がピーンと漂っていました。これほどの厨房を備えた料理屋は、立石には他にないでしょう。

魚つぐきみえちゃん.jpg 現在、お店を仕切っているのは、二代目のおかみさん(写真左上)と、三代目のお嬢さんふたり(右下写真は妹さんの方)。この3人の女たちが、滅法明るい。特に、おかみさんの笑い声を聞くと、なんだか気持ちにぽっと灯がともるようです。

 なお、魚つぐには、大変優秀な姉妹店「喜ままや」があります。こちらは、大宴会にもふさわしい本店と異なり、カウンターを中心にした小さくて瀟洒な造り。大好きな喜ままやについては、また後日!



□「魚つぐ」
住所:〒124-0013 東京都葛飾区東立石3-36-3
電話:03-3697-7221
営業:11:30〜14:30、17:00〜22:00
月曜定休
メニュー:会席料理=¥5,250〜(先付、前菜、お椀、刺身、焼き物、
煮物、茶碗蒸し、揚げ物、食事、デザート)
天ぷら膳=¥1,500、刺身膳=¥1,500
お刺身盛り合わせ=¥2,100〜
平日のランチ=魚つぐ特製弁当他¥1,260〜(サラダ、デザート、コーヒー付)


→Yahoo! Japanグルメ http://gourmet.yahoo.co.jp/0001099687/


posted by 柳田由紀子 at 05:52| 東京 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 飲食店 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月18日

「おでんや」再訪/2009年春

 この春、「呑んべ横丁」「おでんや」にも幾度か通いました。

おでんや名刺.jpg 立石には、名店が数々あり幸福な限りなのですが、問題は長居できないこと。外にお客さんが並んでいるとなれば、どうしても「急いで食べて、急いで出る」というスタイルにならざるをえません。
「そこでもう一軒!」という時に、立ち寄ったのが「おでんや」なのでした。
 今回、春菊と海苔を初めてオーダー。春菊は、おでん出汁で軽く煮たものをたっぷりと。また、海苔は、生海苔をおでん出汁の中にやはりたっぷり入れた、いわば生海苔のお椀物です。秀逸でした。どちらも、300円程度だったかな。

「おでんや」には電話がなくて、連絡は携帯電話のみのよう。それもどうやら非公開らしい。定休日も決まってないみたいだし、遠くから来るお客さんはどうしたらいいんでしょうかね? ですが、ご心配なく。お店には、名刺が置いてありました。名刺には、ちゃんと携帯番号が書いてあります。番号をゲットしたい方は、まずは一度「おでんや」に足を運びましょう。

 なお、この店は、原則深夜0時まで店内禁煙。煙草好きには、チトきつい。

「おでんや」2008年8月31日の項、参照。


posted by 柳田由紀子 at 20:56| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 飲食店 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月15日

手を上げれば、温泉行き。「東京天然温泉 古代の湯」

古代露天.jpg 立石には、市バスの他に不思議なマイクロ・バスが走っています。バスには、「古代の湯」の文字がーー。そう、このバスに乗れば、無料で「東京天然温泉 古代の湯」に行くことができるのです。しかも、駅前からバスで、ほんの5分から10分の距離。

 古代の湯がオープンしたのは、2001年。当初は大変混雑していたのですが、最近はそれほどでもありません。つまり、以前に較べて空いてきたわけですが、しかし、スタッフの数は多く、清掃やサービスがとてもゆきとどいています。
 古代の湯の発表では、温泉=41・8度、湧出量=毎秒250リットル、泉質=ナトリウム塩化物弱塩温泉。循環ろ過式で、加水、加温もしています。浴槽は、露天、檜、歩行用(下に石が敷いてある)、スチームサウナ等。源泉掛け流しというわけではないので、実際、浴槽によっては、いささか消毒臭が強い湯もあります。しかし、露天風呂の湯などは、茶色+しょっぱい、東京の温泉の特徴を示しています。
古代宴会場.jpg また、韓国式あかすりやマッサージのサービス、宴会場、リラックスルーム、仮眠室(朝まで滞在可)も完備。宴会場には、立派な舞台があり、演歌系歌手のショーや、一般客のカラオケに使われています。カラオケの騒音がいささか気になりますが、料理は意外に良くて、500円から1000円で刺身、モツ鍋、枝豆他のおつまみを、また、お寿司やハンバーグ定食(確か1000円前後)といったマジめしも食べられます。お寿司、期待しないで注文しましたが、案外イケたです。

古代バス.jpg 無料送迎バスは、新小岩、亀有、青砥、金町の各駅と古代の湯を往復。立石には、青砥〜古代の湯間のバスが、時間帯によって1時間あたりおおむね2〜4台通過します。バス停は、取り立ててないのですが、駅南口の「おがた病院」の前辺りに立って手を上げれば停車するという、極めて立石らしいお気楽で脱力なスタイル。
 モツ焼き、温泉、元赤線……立石って、やっぱり凄い街。



□ 東京天然温泉 古代の湯
〒124-0022 葛飾区奥戸4-2-1
電話:03-5654-2611
営業時間:10:00〜翌朝8:00
料金:大人¥2,565 、子ども¥1,260
毎週レディースディ、メンズディ、感謝ディ=¥1,260
(曜日要チェック)


posted by 柳田由紀子 at 22:17| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の店 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月14日

立石赤線、「何もかも東京大空襲から始まった」

nekolow.jpg立石赤線地帯に関して、ずっと疑問に思っていることが2つあります。

『赤線跡を歩く』(木村聡著、ちくま文庫、950円)によれば、立石の赤線は、「戦時中の昭和二十年六月に、駅の北口にできた」そうです。そして、占領期の一時期は、そこが米兵用の慰安所(RAA特殊慰安施設協会=Recreation and Amusement Association)になっていたといいます。
 実は、巷には「戦前にも、立石に公娼宿があった」という噂もあるのですが(「『呑んべ横丁』赤線だったのか?」(2008年9月9日参照))、その真偽はいかがか? というのが、2つの疑問のうちのひとつ。

 また、立石には、戦中「産業戦士慰安所」がありました。産業戦士慰安所とは、「軍需工場にかり集められた若い徴用工の性欲のために、軍部の命で、警視庁が設けた売春施設」です(「戦中と米軍占領期、立石には『慰安所』があった」(2008年9月5日参照))。
 いったい、立石産業戦士慰安所はどこにあったのか? 赤線と同じ場所にあったのか? 
 これが、2つ目の疑問です。

赤線3ロー.jpg 2つの問いに答えてくれる資料には、いまだ出会えていないのですが、この度、貴重な証言をゲットしました。証言者は、立石中央通り商店街お好み焼き「おきく」のおかあさん(78歳)。私が、子どもの頃からお世話になっている方です。
 昭和6年生まれのおきくさんは、亀戸生まれ。昭和16年に父親が亡くなったのをきっかけに、立石に越し、母親と姉弟とともに、今のお店の場所に住み始めました。おきくさんは、戦後、区役所に勤務しますが、一方で、友人が営む駅前闇市(現仲見世商店街)の飲食店を手伝います。
 実は、おきくさん、三味線の達人で、お客さんからのウケが大変良かった。そこで、駅前の一角で自らの店を開店することに。
「おきく」は、三味線と、出身地である亀戸方面から入手する粋なつまみが評判を生み、大繁盛。「仲見世には共同便所しかなくて困っていた」ところ、お客さんから、「住まいを改造して、料亭風にしたら」と勧められて、現在の場所に料理屋を開きました。
 おねえさんが4、5人いて、華やかな料理屋だった頃の「おきく」のことを、私もおぼろげながら憶えています。三味の音が夜な夜な響き、それは繁盛していました。「おきく」は、その後、昭和40年代にお好み焼き屋に改装し、今に至ります。
 ついついおきくさんの紹介が長くなりましたが、つまり、おきくさんは立石の生き字引。
 さて、以下が、そんなおきくさんが話してくれたことです。
 
赤線4ロー.jpg「うん、そう。戦後は、駅の向こう側一帯が赤線だったの。
 赤線たって、バラックに毛の生えたようなもんよ。3月10日の東京大空襲亀戸が焼けて、あの辺で商売してた女の人たちが、ずい分移って来た。
 戦争中は、線路の向こうもこっちも更地だったの。空襲で大火事になったら大変ってんで、家屋疎開で、建物が壊されたからね。子どもたちも、学童疎開新潟の寺泊に送られたのよ。うちの弟も、梅田小学校から寺泊に行ったわ。
 更地に、屋台やバラックが建ち始めたのは、終戦後。仲見世は、よしず張りでさ。みんな「リンゴの唄」かなんか唄いながらね、一生懸命だった。
 赤線は、駅のホームからも見えたわよ。女の人たちが表に立って、お客を呼び込んでたんだから。水道道までずーっとね、そんな感じだった。
 進駐軍も来てたよ。クロいのも、シロいのも、来てたねぇ。
 パンパン屋のお姉さんが、私にこぼしたっけ。
進駐軍は遊び慣れてないし、日本人と違うから、やんなっちゃう」って。

赤線1ロー.jpg 女の人たちは、その後、飲み屋を始めたり、田舎に帰ったりしたわね。今、立石に残っている人はいない、私が知る限りはね。
 とにかく、終戦後は、線路のこっちは飲み屋、あっちはパンパン。線路のこっちは、マジメでしたよ。ただ、よく事情のわからないお客がたまに来て、うちに、その種のサービスを期待することもあった。
 そういう時は、
「冗談じゃありませんよ。こっち側は違いますよ」
 って、説明したもんよ。
 
 戦前に、立石赤線があったかって? ない。絶対にない。そう言い切れる。すべて3月10日の大空襲から始まったこと。だって、昔は、吉原や亀戸にちゃんと遊郭があったんだから、立石なんて、こんな田舎まで来るお客はいないもの。
 
 戦争中の「産業戦士慰安所」? それは、知らないなあ。少なくとも北口にはなかったねぇ。
 もっとも、今の青戸団地のところに「大日本機械」っていう軍需工場があったし、東立石にも「愛国工業」っていうやっぱり軍需工場があったから、あっても不思議じゃないけど。ただ、私は知らないわ。
 
 まぁ、すべて昔話。終戦からこっち、しばらくの間、立石は、本当に賑やかだったからねぇ。今はすっかり寂れちゃったけど。
 えっ? 立石が今、ブームだって? 知らないねぇ。うちは、この頃、夕方4時には店を閉めちゃうからさ、世間のことはよくわからなくなっちゃった(笑)。」

→「戦中と米軍占領期、立石には『慰安所』があった」(2008年9月5日参照)
→「『呑んべ横丁』は赤線だったのか?」(2008年9月9日参照)
→「立石北口、『赤線跡を歩く』」(2009年4月10日参照





posted by 柳田由紀子 at 14:59| 東京 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 立石のその他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月10日

立石北口、『赤線跡を歩く』

赤線跡を歩くロー.jpg「公娼制度の廃止に伴い、戦後間もない昭和21年頃から形成された赤線地帯。(中略)戦後の都市空間を彩った建築物とわずかに残る街並みを記録した貴重な写真集。」−−『赤線跡を歩くーー消えゆく夢の街を訪ねて』(木村聡著、ちくま文庫、950円)、裏表紙からの引用です。
 この本には、東京=16カ所、関東=21カ所、関西=6カ所の元赤線地帯が、写真入りで掲載されています。写真集とはいえ、文庫版なのでハンディで、リーゾナブルな価格なのがありがたい。
 その東京16カ所中のひとつとして紹介されているのが、立石北口。場所をもう少し詳しく記せば、「立石駅通り商店街北口。唐揚げで知られる『鳥房』の前にある交番裏の一帯」です。
 やはり立石赤線はあったのですね。

赤線3ロー.jpg『赤線跡を歩く』によれば、立石の赤線は、「亀戸で罹災した業者が移転してできたシマで、戦時中の昭和二十年六月に民家を改装して営業が開始された」とのこと。
 また、「終戦後の八月末には進駐軍向けの慰安施設(RAA)に指定され、まもなく黒人兵が出入りするようになった」とも記されています。
 立石RAA(特殊慰安施設協会、Recreation and Amusement Association)に関しては、『国策慰安婦をめぐる占領下秘史――敗者の贈り物』(ドウス昌代著、講談社、絶版)にも書かれていました。

 赤線跡地を訪ねると、くねくねとした細い道が続いていて、飲み屋や民家が並ぶちょっとした迷宮。往時の面影が偲ばれます。そういう目で見るからか、隠微で艶っぽい風が流れています。
 それにしても、こういう不思議で意味不明な空間って、東京では本当に少なくなったよなぁ。立石の赤線跡も、駅前再開発の対象になっていますから、このままいけば、5年以内には消えゆく運命にあります。

→「戦中と米軍占領期、立石には『慰安所』があった」(2008年9月5日参照)
→「『呑んべ横丁』赤線だったのか?」(2008年9月9日参照)
立石赤線、「何もかも東京大空襲から始まった」(2009年4月14日参照)




posted by 柳田由紀子 at 18:31| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月09日

東立石4丁目、道路拡張計画、2009年2月の説明会

三陽のポスター.jpg この2月、葛飾区が主催した東立石4丁目、道路拡張計画(正確には防災街区整備地区計画、密集住宅市街地区整備促進事業)の説明会に行って来ました。普段アメリカに住んでいるとはいえ、私にも大いに関係があるからです。

 区の説明によると、5月あたりから個別家庭訪問が始まり、来年には買収の価格査定に入っていくようです。
 会場の壁には、区が描く新道路の地図が貼られていました。現状の地図に赤線が引かれ、拡張道路の範囲、それによって買収対象となる家々が明確に記されています。その地図を真剣に眺める住民たち。どうやら家がそっくり道路になってしまうケースはないようですが、物干しがなくなってしまう方、家の3分の1ものスペースが道路対象地となっている家、反対にまったくひっかからない家庭と、悲喜こもごもでした。
 区では、「この計画に強制力はない」と説明していましたが、一方で、「ご理解いただくまで、根気強くご説明に伺いたい」とも。

防災公園ローロー.jpg 東立石4丁目の拡張道路は、奥戸街道から中川横の防災公園(於・中川の七曲、旧立石製薬の工場跡地。東立石緑地公園、中川河岸緑地公園とも呼ぶ)に及びます。災害時には、防災公園が住民の避難場所となるため、道路拡張の前にいち早く区画が整理され、公園が造られました。

「強制力はないって言っても、最終的に従うしかないんでしょ?」
 と、知人に問うと、
「まあね。でも、防災公園に家が2軒残っているよ。あれは、徹底抗戦したんじゃないかな」
 との答え。

 早速、公園に足を運ぶと、あったー! 広い防災公園のど真ん中に住宅が二軒、すっくと建っていました。たまげた!
 お話を伺っていないので、正確な経緯はわかりませんが、たぶん、知人の推測が正解でしょう。こういう方法もあるんですね。私は、「土性骨」という言葉を久しぶりに思い出していました。
 道路拡張に関して、賛成派でも反対派でもない私ですが、しかし、件の二軒の在り方に、「自分も、もう一度よーく考えみよっ!」と思ったことでした。
(写真は防災公園。二軒のおたくは、
プライバシーを尊重し撮りませんでした。)


→東立石4丁目、「防災街区整備地区計画」(2008年9月13日参照)


posted by 柳田由紀子 at 07:33| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 再開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月06日

駅前の青写真は、デキそこないの六本木ヒルズみたい

 立石を後にし、アメリカ、ロサンゼルスに戻って1週間。凄まじいホームシックを患っています。
 立石の曲がりくねった路地、密集した家々、お寿司にモツ焼き、ラーメン、そして、ややガサツながらも自然体な人々が、たまらなく恋しい……。
 それに較べて、ロサンゼルスは、道はボーン、家もボーン、食べ物も大味で、車社会だからめったに人も歩いていません。たまらなく淋しい……。
 しかし、どうだろう? 立石駅前が再開発されても、私はこんなに立石を想うのだろうか?
 今回の帰国時、ある方(この人は、再開発反対派)から、区やゼネコンが描いた開発後の立石駅前の設計図を見せていただきました。それによると、駅前は北口にロータリーができ、南北ともに高層ビル郡に変わります。土地開発業者がいかにも描きそうな青写真で、なんだかデキそこないの六本木ヒルズみたい……。あーあ。
 確かに、老朽化した南口の仲見世商店街は、「都内5073町丁目中、32番目の危険度」(東京都)だそうだから、なんとかしなくちゃならないのだろうけれど、それにしても、立石を、あの設計図が示すような「張りぼての街」に変えちゃっていいのだろうか?
 立石恋しや。だけど、なんとも気になる街の先行き……。

posted by 柳田由紀子 at 23:57| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 再開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月04日

「光陽楼」再訪/2009年春

光陽楼3ローロー.jpg やはり数度通ってしまいました、「光陽楼」。
 なんと味が濃いのだろう。元来、塩っぱいモノ好きな私でさえ、しばしば「濃すぎ」と思うほど、光陽楼のメニューは、あいかわらずすべて明快な味を示していました。このしょっぱさには、水がよく合う。お店の方もわかっているのでしょう。こちらがお願いしなくても、じゃんじゃかコップに水を足してくれます。これも、私が光陽楼を好く理由のひとつです。
 光陽楼は、あんかけモノにつきるというのが私の基本的考えですが、あんかけではないけれどレバニラ炒め(700円)もおいしかったです。ちゃんとレバを油通ししているから、レバが臭くないのよ。
光陽楼1ローロー.jpg また、ついつい中華丼(800円)を注文してしまうので、今まで見落としていたのが「うまにそば」(800円)。「中華丼を食べたいけど、麺も食べたいし、つゆも飲みたい」ーーそんなことを口にしたら、おじさんが、「じゃ、うまにそばだな。上にのっかってるの、中華丼と一緒だからさ」と、率直でナイスなサジェッション。うまにそば、はまりました。
 お店もようやく火曜日定休で定まった感じ。立石ときたら光陽楼。やっぱしはずせません。

「光陽楼」=2008年4月29日の項、参照。
posted by 柳田由紀子 at 11:07| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 飲食店 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする