2012年11月19日

『敗者の贈り物』、占領期、立石には米兵用の「慰安所」があった

dousumasayo.jpg 第二次大戦中、立石には「慰安所」がありました。少し長くなりますが、以下に、ドウス昌代さんの『国策慰安婦をめぐる占領下秘史ーー敗者の贈物』(講談社)を引用します。
「東京都接待業組合連合会というのは、戦時中新しく出来た慰安施設の業者の集まりであった。東京近郊の軍需工場にかり集められた若い徴用工の性欲のためにと、軍部の命で、警視庁が、立川、蒲田、亀有、立石、新小岩の工場地帯に、新設させた慰安所である。当局はこれを産業戦士慰安所と呼んだ」

 慰安所というのは、戦地だけでなく、国内にもあったんですね。日本軍はきめ細かいというか、なんというか。




 ところで、皆さんは「特殊慰安施設協会」RAA=Recreation and Amusement Association)をご存じでしょうか? これは、終戦直後に、「連合軍(占領軍、進駐軍)の兵士向けに作られた売春婦のいる慰安所」のことです。GI.jpg占領軍が積極的に要求したというより、国内の治安を守るため、日本の内務省が主体となって用意した施設です。そして、米軍は、“敗戦国からの親切な配慮”を遠慮せずに受け取った格好になります。

 その「特殊慰安施設協会」(RAA)が、占領期、意外なことに立石にあったのです。戦中に、日本人徴用工のために作った産業戦士慰安所を、戦後になって連合軍兵士ように代替、いわば横すべりさせたのです。進駐軍とか占領軍というと、銀座や丸の内、横浜や横須賀などの地名がすぐに浮かびますが、東京の東のはずれ、立石にまで、GIたちは押しかけて来ていたのですね。
『国策慰安婦をめぐる占領下秘史ーー敗者の贈物』には、「昭和21年10月警視庁調査」として、「立石に75名の慰安婦」がいたと記されています。

→このブログには、他にも呑んべ横丁立石の赤線
戦中の産業戦士慰安所
戦後の占領軍用慰安所に関する記事があります。


*上に掲載したGIの写真は、『図説 占領下の東京 Occupation Forces in Tokyo, 1945-52』(佐藤洋一著・河出書房新社)の表紙を撮影したもの。写真自体は、米国立公文書館分館所蔵。『図説 占領下の東京』は、米国立公文書館分館に残る占領期東京の写真を丹念に調査、編集した好著。写真や資料が豊富で、Occupied Japanに興味のある方には、おすすめの一冊です。




posted by 柳田由紀子 at 01:13| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 立石の赤線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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