2012年11月19日

「呑んべ横丁」は赤線だったのか?

 隠微な2階建ての軒が並んでいることから、「呑んべ横丁」が、かつての赤線(公認で売春が行われていた地域の俗称)、あるいは青線(非公認の売春区)だったと考える人が多いようです。確かに、呑んべ横丁は、昔、青線だった新宿のゴールデン街に似ています。また、呑んべ横丁は、売春防止法(昭和31年/売春廃止は昭和33年)以前に出来ていますから、赤線青線と考えても不思議ではありません。

呑んべ横丁4.jpg
illustration/山崎まどか

 しかし、結論からいうと、これは勘違い。呑んべ横丁が出来たのは昭和29年で、創設当時は「立石デパート」と呼ばれていました。現在の姿からは想像しにくいのですが、この横丁、以前は、用品屋や食堂が並ぶ健全な商店街でした。つまり、呑んべ横丁は、赤線でも青線でもなかったのです。

 では、巷に噂される立石の赤線慰安所はどこにあったのでしょうか?  
 区役所に問い合わせたところ、「葛飾区郷土と天文の博物館」(葛飾区白鳥3-25-1)を紹介されました。「郷土と天文」と「赤線青線」って、ちょっと違うんじゃないの? と首をかしげつつ連絡をとると、予想に反して、それなりの回答が返ってきました。博物館学芸員の方の話をまとめたのが以下です。
立石赤線があったという記録は、区史を含めた葛飾区の資料には残っていない。
* ただし、地元の古老から「赤線があった」という話は、幾度か聞いたことがある。
* 古老たちの話によれば、場所は、立石駅通り商店街北口「鳥房」の斜め前にある交番裏  一帯
*東京都中央図書館の東京室に、資料が残っているかもしれない。


呑んべ横丁/姫.JPG


立石駅北口交番の裏が風俗街だった」ということは、赤線遊郭跡を含めた日本の風俗全般を撮影散歩したブログ、「古今東西風俗散歩」にも記されています。
 同様のことは、筑摩書房から出版されている赤線跡を歩く」(鈴木聡著にも書かれています。

 ところで、赤線を扱った映画や小説は数々ありますが、私がもっとも好きなのが溝口健二監督の『赤線地帯』です。この映画は、売春防止法が施行された、まさにその年に公開されました。また、名匠、溝口の遺作でもあります。
 娼婦を演じるのが、若尾文子や京マチ子、木暮三千代他。女郎屋のおかみに沢村貞子。同じく旦那役が進藤英太郎。私は、進藤英太郎を「日本映画最大のエロおやじ」と思っているのですが、『赤線地帯』でも、たっぷりと艶のあるエロな演技を見せてくれます。
 しかし、この映画で誰よりも圧倒的なのは、大年増の娼婦を演じる三益愛子ではないでしょうか? 彼女が最後に唄う『満州娘』に、何度この映画を観ても、私の胸は大きく揺さぶられるのです。

posted by 柳田由紀子 at 00:19| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 立石の赤線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
立石でふっきーといっしょに活動しています。
ふっきーに教えてもらい、このブログを拝見しました。すごくいいブログですね。
客観的な情報と、立石への思いがとても読みやすくまとめられていて、脱帽いたしました。

いま、私たちがやっている「立石チョットどうする?!会」でも呑んべ横丁のことを調べています。
呑んべ横丁を実測調査するワークショップを9/21にも行います。よかったらご参加下さい。

呑んべ横丁が青線だったと思っているひとは地元でもけっこういますね。でも事実は違うと、私も地主さんの話を聞いてわかりました。
Posted by ヤス at 2008年09月10日 07:48
コメントをありがとうございました。
うれしいです。
「呑んべ横丁祭」りの件、
数日中にブログアップします。
日々の暮らしにばたばたしちゃって、遅れて申し訳ないこと。
とにかく明日か、あさってには!


Posted by 生まれも育ちも葛飾立石 at 2008年09月10日 14:45
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