2012年12月04日

『綴方教室』の舞台は、葛飾区立本田小学校(立石一丁目)

 本田小学校と書いて、ほんでん小学校と読みます。創立は明治7年(当時は、第6中学区第4番青戸分校)、140年もの歴史のある小学校で、私の母校です。昭和初期のベストセラー、『綴方教室』は、この本田小学校(立石一丁目)が舞台です。

本田小学校校舎.jpg


『綴方教室』が中央公論社から発行されたのは、昭和12年のこと。この本には、当時、本田小学校に通っていた豊田正子さんの綴方(作文)と、担任の先生(大木顕一郎)の指導記録が書かれています。豊田正子さんは、大正11年東京本所生まれ。10歳の時に、家族とともに墨田区から、葛飾区本田第一小学校(現・本田小学校)に転校しました。




綴方教室/イラスト.jpg「豊田正子の綴方作品は、東京下町に住む貧しいブリキ職人一家とその周辺の生活実態を、透明で鋭い観察力と生き生きした日常語で活写したものであった。そこには、職人一家に特有の明るさ・たくましさとからみ合いつつも、昭和恐慌の余波に翻弄され、貧困の重圧下にあえぐ庶民の深刻な生活態度が、無邪気に率直に、そしてなによりも真剣に投影されていたのである。」

 解説にもある通り、『綴方教室』には立石(正子さんの家は四ツ木寄り)に生きる貧しい庶民の日常が描かれています。その執拗なまでの貧困に、正直言って私はかなり滅入りました。特に、ブリキ職人の「とうちゃん」が、本業だけでは食べられなくなって、職業紹介所に登録に行ったり、下請けの賃金を取り損なったり、自転車を盗まれてしまうくだりなどは、読み進むのがつらくなったりもしました。
綴方教室/著者写真.jpg
 逆にいえば、正子さんは、それほどまでにありのままの暮らしを飾ることなく書き切っています。そして、まさにその生活こそが、戦前の立石の多くの人々の姿だったのでしょう。
『綴方教室』には、「お湯屋の番頭さん」「犬ころしのおじさん」「馬方」といった人々、「井戸そうじ」や「芸者に売られる少女」の話など、昭和初期の立石を知るための貴重な話がたくさん書かれています。

 なお、豊田正子さんは、本田小学校卒業後、日本製紐、四ツ木工場に勤務。『続綴方教室』には、その時期の日々が綴られています。
 また、『綴方教室』は昭和13年に東宝から映画化。山本嘉次郎監督のもと、高峰秀子が正子さんを演じました(父親役・徳川夢声、母親役・清川虹子)。

挿絵/北山径子、写真/16歳、『続綴方教室』執筆の頃の豊田正子さん。
四ツ木の工場にて。以上、ともに木鶏社版より引用。




posted by 柳田由紀子 at 17:58| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
豊田さん、先頃亡くなられました。
合掌。
Posted by 柳田由紀子 at 2011年03月08日 18:17
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。