2008年09月17日

座談の名手、小沢昭一が訪ねたコンドーム発祥の地、東立石

ozawabook.jpg 晶文社から『小沢昭一座談』全5巻が刊行されました。その第2巻「小沢昭一座談 昭和の世間噺――いろイロ」に、小沢昭一さんと、不二ラテックス社長の対談、「サイズに国境なし、ゴムに賭けるーー不二ラテックス社長の岡本忠男さん」が載っています。
 不二ラテックスの前身は、株式会社日本ラテックス工業所。同工業所は、昭和24年3月、葛飾区本田川端町(現・東立石)に設立されましたが、ここで製造していたのがコンドームです。
 そう、かつて、東立石コンドームの城下町だったのです。
 その後の昭和36年、日本ラテックス工業所は、不二ラテックス株式会社に商号変更。 さらに、会社も日本橋に短期間移転後、昭和47年には現在の神田錦町に居を構え、今ではすっかり立石から姿を消してしまいました。

 小沢昭一さんと岡本忠男社長の対談が行われたのは、昭和41年。つまり、東立石工場がバリバリに稼働していた頃のことでした。その東立石工場の一隅で、岡本社長は語ります(ちなみに、今回、不二ラテックスの広報に取材したところ、不二ラテックス先代社長の岡本忠男氏は、同業他社であるオカモト株式会社、先代社長の弟であることがわかりました。また、不二ラテックスの現在の社屋が素晴らしい形状をしていることも、はじめて学んだ次第です)。
コンドームが日本へ入ってきたのは明治の末期と聞いておりますが、そのころからこの工場ではこれをつくっておりまして、私で四代目になります。ですから、ここは日本におけるコンドームの発祥地ともいえるわけです」
 社長の話が事実なら、戦後、日本ラテックス工業所として、本格的に製造に取り組む以前から、東立石ではコンドームが作られていたことになります。さらにこの話は、立石の文明開化がコンドームとともにやって来た、という事実をも示唆しております。
 小沢、岡本対談は、サイズのこと、国による違い、商品開発など多伎にわたっていて、それだけでも興味深いのですが、立石戦後および高度成長期の匂いを嗅ぐには格好の書といえるでしょう。

→うらのブログ(コンドームビル:不二ラテックス本社ビル)







posted by 柳田由紀子 at 17:34| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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