2013年06月27日

【現況報告】 写真で辿る立石北口、旧赤線地帯(小史付き) 

 立石出身の古書業者、石尾光之祐氏の『無邪気な季節』(私家版30部、昭和63年発行)は、自伝的色合いの濃厚な小説です。時代背景は、日中戦争から第二次世界大戦を経て、敗戦直後の混乱期。
 今回は、その『無邪気な季節』を中心に、立石北口西側地区、元赤線地帯の歴史を辿るとともに、現在の写真を掲載します。(*青文字は『無邪気な季節』からの抜粋。)

立石遊郭 看板建築風
旧赤線地帯の家−1。やや看板建築風の建物。

【昭和10年代、日中戦争の頃】
 当時の立石の全体像はーー。
「東京・葛飾の立石町は京成電車の立石駅を中心にして、百米ぐらいの円周にすっぽり入るような小さな町である。」

 そんな立石の北口に、新興住宅地が作られます。
「立石町を通る京成電車の『京成立石』駅のホームの長さは四十米もあったか、その長さの分だけ、北側の家並みが五、六十米も北に拡がって斜めに水道路とぶつかった一画が、『立石新地』だった。家数は40軒かそこいら」

 この住宅地には、飲食店もありました。
「駅を囲んだように四軒のミルクホールがある。」

 飲食店にも、戦争が影を落とし始めます。
「ミルクホール“春”はまもなく店を閉めるといっている。女ひとりで仕入が思うようにいかないそうである。芋あんの菓子まがいのケーキ、苦いだけの大豆煎りの珈琲……大豆煎りのそれすらむづかしくなっている。」

立石遊郭 コリント風
旧赤線地帯の家−2。ギリシャ建築を狙ったのでしょうか。

【昭和19年、20年、第二次世界大戦中】
 新興住宅地は、ある日、なんと軍需工場の徴用兵用の産業戦士慰安所(公的な売春地区)に指定されます。
「敗戦間際にこの一角が軍の慰安所になったと云う。」

 どうやら、住宅は公的機関から接収されて、住民も疎開させられたようです。おそらく、4軒のミルクホールも例外ではなかったでしょう。
「(慰安所は)しもたやを店に改造している。もともとしもたやだから一軒一軒はだいたい似たような間数だとすぐわかる。」
「金貸しの家……この家だけが……一軒残っている。戦中接収されなかったのは何故なのか。」


立石遊郭 おかしな家
旧赤線地帯の家ー3。なんて細長い2階なんだ。

【昭和20年、21年、敗戦直後】
 戦争が終わると、立石産業戦士慰安所は、占領軍兵士専用のやはり慰安所(「特殊慰安施設協会」(RAA=Recreation and Amusement Association)になります。国から指定を受けたのです。日本政府は全国的に占領軍兵士用の慰安所を作りましたが、それは「日本の婦女子の純潔を守るため」でした。
「敗戦の後は日本人(注2)と黒人兵専用(注1)の私娼街(注2)に変ったと云う。(妓は)百名程度だろう。踏切を渡るとこの一帯だけは電灯も明るく人の往き来が多かった。−−玄関がみんな店の入口である。」

(注1)「黒人兵専用」とありますが、これは誤りかもしれません。何人かの地元の人から、「黒人、白人ともに通っていた」という話を聞きました。
 たとえば、下の写真は「入口がふたつ」ある変な家。当時、この家(慰安所のひとつ)を運営していた老婦人に取材したところ、「アメリカ兵は人種差別がひどかった。黒人と白人が一緒の玄関じゃ困るってことで、こういう造りにしたわけよ」と語っていました。

売春街 黒白の家
旧赤線地帯の家ー4。

 いずれにしても、占領軍はやはり物凄く強い立場にいました。進駐軍の不始末に、日本の警察は手も足も出せませんでした。
「『新地』で心中未遂事件が発生した。事件には違いないが警察は介入していない。例の『大統領』みたいな名の黒人兵が或る夜泥酔して彼女の店にやって来た。彼は彼女を抱きしめると、携帯して来た拳銃を振りまわし、『一緒に死んでほしい』旨を米語で叫んだ。」

立石遊郭 アポート風
旧赤線地帯の家ー5。今はアパートのようです。

【昭和21年から昭和33年、売春防止法施行まで】
 しかし、翌年、主に性病の蔓延を理由にRAAの慰安所は廃止。占領軍の兵士が立ち入りできない「オフリミット」に指定されました。立石の慰安所も同様の措置を受けたため、以降は日本人相手の私娼地区(赤線)となり、昭和33年、売春防止法施行(公娼廃止の覚書は昭和21年1月)までその状態が続きます。

 上記(注2)の「日本人」「私娼街」の表現は、この時期とRAA時代が、著者の中で混乱しているのではと思われます。

 また、売春防止法施行後も、飲食店の形態を取りながら密かに営業する業者や店が多かったといいます。
 とはいえ、いつの頃からか、それらの店も一般のスナックやバーに変わるか、あるいは廃業し、現在にいたっています。

posted by 柳田由紀子 at 20:11| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(1) | 立石の赤線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
RAAから私娼地区、これも切ない歴史ですね。のんびりした農耕や酪農の栃木からは想像出来ません。
Posted by at 2014年10月16日 22:57
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/367688039

この記事へのトラックバック

長崎県 - 確実☆即決せフレ案内所
Excerpt: 登録からお相手検索、待ち合わせまで全てをこのサイトでチェック!
Weblog: 長崎県 - 確実☆即決せフレ案内所
Tracked: 2014-04-28 03:59
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。