2012年12月04日

仲見世商店街が表紙に描かれた単行本

 ある時、友人から一冊の本が贈られてきました。その表紙を見て「ほーっ!」、私は思わず声を上げて喜びました。そこには、大好きな立石仲見世商店街が描かれていたのです。




 書名は、『あのエッセイ この随筆』。著者は、文芸、映画、都市他の評論で知られる川本三郎です。装画の作者は森英二郎(この人の作品は、以前「小説新潮」の表紙を毎月飾っていました)。
 森英二郎が描いた仲見世商店街は、仲見世の様子をしっかりとあたたかく捉えていて、絶品だと思います。かなりやぼったい水色のアーケード天井が、いかにも仲見世で、さらに、その水色と、地面のタイルを彩る緑色、えんじ色、黄肌色の組み合わせが、ますます”やぼ”です。こんな配色、いったいどこの誰が考えたのでしょう? 

仲見世/地面.jpg

 仲見世が、コンクリートだった床を現在の形に変えたのは昭和40年代後半だったと思います。「近代化」とでもいったものを狙ったのでしょうが、逆効果でした(笑)。でも、このイケてなさこそが仲見世の良さ、強みです。こんな色彩の商店街、東京のどこにもないよ!




 装画の中心には、「宇ち多゛」(うちだ)というモツ焼き屋が描かれています。ここは、「夕方には品切れ」になる有名店です。なぜ「夕方に品切れ」かというと、昼間から店を開けているから。で、開店と同時にほぼ満席、外は行列状態になります。私が、幼い頃からそんな感じでした。
 子どもの頃は、「昼間から飲む方も売る方もどうかしてる」と憤っていたのですが、おかげさまで今では私も、陽の明るいうちから行列に参加する立派な大人になりました。




 著者の川本三郎は、「立石が好きでよく町歩きに出かける」といいます。その理由として、
「まだあちこちに昭和三十年代の町並みが残っているから。マーケットのような商店街、木造家屋が並ぶ路地、電車の踏切。町を歩いていると子どもの頃に戻ったような気がしてくる」
 と、綴っています。
 そして、最後に、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』で、永井荷風と立石の繋がりを記して、「東京の小さな町 立石」と題した短い随筆を書き終えています。




posted by 柳田由紀子 at 03:07| Comment(2) | TrackBack(2) | 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
仲見世商店街は仲見世の
様子をしっかり暖かく捉えているとのことですから早速、川本三郎先生の本を拝読始めました。装画の森英二郎先生の絵も引き憑かれます。私、よい年をして住民の皆様の心情も詳細も不案内なのに再開発を危惧した意見を軽はずみに発し大変失礼致しました。再開発は大変な問題なのですね、立石にとって。
Posted by 柳田様楽しそうな本ですね。那須塩原市の松じー at 2014年10月10日 03:30
松じーさま:軽はずみではないですよ。誰だってなくすのは惜しいと思いますもの。ただ、危険な建物群であることは確かなんですよね。どうなるのか? どうするのか?
Posted by 柳田由紀子 at 2014年10月11日 10:12
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