2014年03月03日

ラスベガス、シーザーズパレス・ホテルのバッフェで「ハチノスの和え物」を食べた!

 先月、ラスベガスで評判のシーザーズパレス・ホテルの「バッカナル・バッフェ」に行きました。いや〜、感激しましたね。なぜって、ハチノスの中華風和え物があったんですよ。しかも茹で具合といい、調味といい絶妙でした。さすがはバッカナル! 

ハチノスの和え物

 詳細は→「すんごいバッフェがあったもんだ! ラスベガス、シーザーズパレスのBacchanal Buffet(バッカナル・バッフェ)」





posted by 柳田由紀子 at 06:37| 東京 ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月03日

『葛飾音頭』の民謡樋口流、二代目家元、樋口照栄師匠逝去

『葛飾音頭』の振り付けをした民謡樋口流、二代目家元、樋口照栄師匠が、今年1月2日に亡くなったそうです。享年96歳。
 さんざん踊ったな、『葛飾音頭』。

 ♪さぁさ葛飾、住みよいトコロ〜 
  ほんに よさよさ パラダイス〜

 作曲は古関裕而だってね。いつ作られたんだろう? 私が物ごころついた時には、常に盆踊りの花形だった。

posted by 柳田由紀子 at 18:33| 東京 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月13日

「おきく」逝く

 2011年、冬、戦争直後の闇市時代から立石で小料理屋を営んできた駅前の「おきく」さんが亡くなりました。

きくばば2.jpg


 おきくさんは、私の育ての親ともいえる人です。うちは、おきくの斜め前の肉屋でした。高度成長期の肉屋はとても忙しかった。そこで、私はお七夜からおきくに預けられました。肉屋が忙しい朝から夕方はおきく、小料理屋が立て込む夕方から夜は家に帰るというのが、お七夜から小学校を卒業するまでの私の暮らしでした。
 私は、おきくさんのことを「きくババ」と呼んでいました。アメリカにいたため、きくババのお葬式には間に合いませんでした。亡くなった翌月、おきくを訪ねると、ひっそりとした店のお座敷に、きくババのお骨と遺影が飾ってありました。

  春帰国 信じたくない 君の遺影

 おきくは今、店を閉じています。つらいのでなるべく前を通らないようにしていますが、どうしても時折足を向けてしまう。シャッターが下りたままのおきく……。あの戸を、私はこれまでに何度開けたことだろう。きくババは、「あら、ゆきや〜」と、幾度迎えてくれたことだろう。

 先日、夢を見ました。きくババはなぜかどこかの田舎にいて、私が訪ねるのです。
「きくババ、もう立石には戻って来ないの?」
 と訊くと、きくババはやさしく笑って、
「うん、戻らないよ」

 きくババ、逢いたいよ……。

きくばば2 2.jpg
昭和30年代のおきく、店内。

きくばば1.jpg
若き日のおきくさん。終戦直後か。

昭和39年立石/柱5.jpg
奥に仲見世商店街がかすかに見える。右側がおきく。赤ん坊の私。

昭和39年立石/柱2.jpg
おきくの前は商人宿(現・舟和)だった。粋な黒塀。

昭和38年立石/せとものや.jpg
宿の隣がうちの肉屋、そして「セントラル」というGパン屋さん、瀬戸物屋さんの「栄屋」。
写真は、瀬戸物屋のおばちゃんと私。瀬戸物屋さんは、戦後朝鮮半島から引き上げて来たという。

昭和39年立石/柱3.jpg
右奥が瀬戸物屋さん。品物の並べ方にいまだ戦後感が漂う。






posted by 柳田由紀子 at 17:57| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月28日

立石駅員一同からのイケてる猛暑見舞い

 ネットサーフをしていたら、実に立石らしい写真を発見! “安くて、うまくて、早く、そのくせやや脱力”している、立石らしいシーンです。写真タイトルは、「下町 立石駅 特別冷蔵庫」
 この自然体が、なんだかしみじみ立石。皆さまにも、是非ご高覧賜りたく!

→写真家、相原正章のつれづれフォトブログ





タグ:立石駅
posted by 柳田由紀子 at 15:22| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月18日

立石ブームは突然炎のごとく

 この春、一年ぶりに故郷の葛飾区立石に帰ったところ、うれしい驚きに包まれました。街が、数十年ぶりに活気を取り戻していたのです。
 私は、昭和三十年代立石に生まれ、ずっとこの街で育ちました。事情があって2001年からアメリカに移住しましたが、立石には、年に1度、毎回1カ月ほど帰郷します。

立石駅前商店街
写真/山崎まどか

 私が、子どもの頃の立石は、それはそれは賑やかな街でした。駅前の商店街は、毎日がまるで年末のアメ横のような込みようだったし、この街にたくさんあった町工場もフル回転で稼働していました。夜になればなったで、料理屋や飲み屋から、三味の音や酔客の笑い声がじゃんじゃか聞こえてきました。

赤線地帯/猫.JPG

 その立石に陰が差し始めたのは、大型スーパーが出店し始めた’70年代後半だったと思います。それまでは、夕方は、通り過ぎることさえ困難だった仲見世商店街が、次第に“フツーの歩行速度”で歩けるようになり、終いには、自転車でスイスイ行き来できるようになってしまいました。そして、いつしか立石は、時代から置き去りにされた寂しい街になっていったのです。




 ところが、そんな立石が、なんだか急にブームタウン状態なんです。街には、一見してネイティブではないとわかる、カメラを携えた人々が目立つようになりました。飲食店も俄然忙しくなって、人気店など「週末は日が落ちると同時に、売り切れ=閉店」なんていう繁盛ぶりなのです。

みつわ黒板.jpg

 今日がこのブログの初日なので、ついつい長くなりましたが、本ブログの目的は以下です。
1) 立石の良さを勝手に宣伝したい。
2) 立石が好きだから、今の活気を長続きさせたい。
3) 立石の今後について、意見を交換したい(再開発計画が立ち上がっています)。

 では、また明日!




posted by 柳田由紀子 at 05:34| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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