2013年11月02日

アナウンサーの吉田照美氏も立石出身

「週刊文春」10月24日号を読んでいたら、「新 家の履歴書」のコーナーにアナウンサーの吉田照美氏が登場していて、立石出身とありました。
吉田照美

「生まれてから小学校二年の夏まで、親父が勤めていた小さな製紙会社の社宅に住んでいました。葛飾区の本田立石。中川の土手沿いです。」「葛飾小学校に入学」や、「血を売るために血液銀行に並ぶ大人たちも覚えています」とありますから、線路の北側ですね。

 おもしろかったのは、吉田さんが住んだ社宅にはお風呂があって、「それが、男女混浴なんです。ーーいま思うとすごいですよねぇ、同僚の奥さんの裸を見ているんです」。

 また、吉田さんは「船の家」の記憶が鮮明だと語っています。「中川に十数隻繋留してあって、幼稚園の幼馴染みも家族で住んでいました。たぶん、その後、東京オリンピックで立ち退きになったんだと思います」。
 私はオリンピックの前年、1963年生まれですが、「船の家」の記憶が明確にあります。奥戸橋の袂に、そうですね、5、6隻だったかしら。だから、東京オリンピックですべてが立ち退かされたわけではないと思う。
 そういえば、以前、団鬼六さんをインタビューした際、立石の中川の船に乗ってよく釣りをしたと語っていました。インタビュー時には、東てる美さんもいらしたのですが、「先生とは昔、冬の中川で鯉を捕ったりしたわよね。船の中で炬燵に入って、鯉コク作ってもらってさ」とも。団さんと東さんの炬燵で鯉コクーーなんだかとっても濃厚だなぁ。



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2013年07月01日

玩具の街、立石−−−渋江公園の「葛飾区セルロイド工業発祥記念碑」

 川本三郎氏の『郊外の文学誌 第10回 葛飾界隈』(月刊「新潮」2000年)の中に、「立石と四ツ木の中間にある『渋江公園』には、『セルロイド工業発祥之地』の碑がある」の文章を見つけました。はて? 渋江公園にそんなのあったっけ? 家族や隣人に尋ねたけれど、誰もが口を揃えて「はて?」。
 そこで、渋江公園を訪ねると、正面玄関ともいえるわかりやすい場所に確かにありましたーー「葛飾区セルロイド工業発祥記念碑」。昭和26年、戦後6年目に渋江公園が開園された、その翌年に有志が建てた碑と記されています。

セルロイド発祥の地.jpg

 記念碑の横には児童像も。「平和と希望を象つた記念児童群像」とありますが、ちょっと不気味な感じがしないでもありません。
セルロイド発祥の碑.jpg

 記念碑のそばには、葛飾区教育委員会による説明も添えられていました。それによると、
「わが国におけるセルロイド工業は、明治41年(1908)に 日本セルロイド人造絹糸と境セルロイドが設立されると共に本格的生産が始まりました。
 葛飾区のセルロイド工業はこれらを追って大正3年(1914)に創業されました。その中心となったのは、故千種稔氏がこの地に設立した『千種セルロイド工場』です。のちにこの地域はセルロイド工業の街として繁栄しますが、それはここから始まったと言ってよいでしょう。」




 セルロイドは合成樹脂の一種で、そもそも象牙の代用品として開発されました。その後、玩具にも使われるようになりましたが、初期のキューピー人形はその代表例。実際、千種セルロイド工場キューピー作りに力を入れ、欧米各国へ輸出していたそうです。
 大正時代の立石って、グローバルだったんですね。
 さらに、千種セルロイド工場を世界に羽ばたかせたのが第一次世界大戦(1914年〜1918年)でした。戦場となったヨーロッパのセルロイド・メーカーが軍需産業に転向を余儀なくされると、日本に注文が殺到。千種セルロイド工場も空前の活況を呈します。
 が、戦後はバブルが弾け、千種セルロイド工場は大正9年(1920年)に倒産。後に、同業他社と合併し「中央セルロイド工業株式会社」を設立するも、この会社もあえなく倒産しています。

 それから、かれこれ一世紀。今でも立石は、「玩具の街」の顔を持ち続けています。現在、「タカラトミー」の本社があるのも立石です。
□渋江公園
住所:〒124-0013 東京都葛飾区東立石3−3−1
電話: 03-3697-6677
アクセス: 立石駅より徒歩約8分


柳田由紀子の本/紫
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2013年02月11日

四ツ木に漫画「キャプテン翼」主人公、大空翼の銅像

「毎日新聞」2013年2月9日朝刊によると、漫画「キャプテン翼」の主人公、大空翼の銅像が、作者である高橋陽一さんが生まれ育った四ツ木に新設される「四ツ木つばさ公園」(京成四ツ木駅から北へ徒歩約5分。商店街の先)内に設置されるそうです。
 除幕式は来月、3月30日予定。銅像の監修は、今も四ツ木在住の作者、高橋陽一氏ご本人。
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2012年12月13日

京成立石駅下りホームのミニチュア「立石様」

 京成立石駅下りホームには、立石の地名の起こりといわれる「立石様」のミニチュア・レプリカがあります。

駅の立石様1.jpg


 以前は、ここに「ここで寝ないでください」と書かれた貼り紙があったとか、なかったとか😃。先般帰国した際に確認しましたが貼り紙はなかったです。

 ミニ立石様は、ちょうど跨げるくらいの高さの柵で囲われていて、その中はなんだかちょっと平和な雰囲気。眠るには狭すぎる感もありますが、そこが返ってやすらぎ感を誘うのかもしれません。わかるなぁ、寝ちゃう酔っぱらいの気持ち😵……。





posted by 柳田由紀子 at 16:32| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 立石のその他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月09日

チタリングス(黒人たちのモツ煮)の謎

 立石とは関係ないのですが、モツ好きな私は、過日、アメリカ黒人の伝統料理(ソウルフード「チタリングス(Chitterlings)」を初めて食べました。もちろん胸を躍らせながら。
 ところが……。
Chitterlings_011.jpg

 
 まずかった〜、「チタリングス」……。あれが、本来の味なのか? それとも、あの店が特別にまずかったのか??

 チタリングス(Chitterlings)は、豚の腸の煮込み。「ソウルフード」と呼ばれる黒人料理の一種です。かつて、黒人たちが奴隷だった時代、彼らは、豚の内臓や豚足、ナマズなど、主人が使わない(あるいは捨てた)食材を調理していたといいます。そうした料理をソウルフードと呼び、ナマズの揚げ物(catfish fry)やチタリングスはその代表的なメニューです。
 黒人たちを撮り続けたフォト・ジャーナリスト、吉田ルイ子氏の『ハーレムの熱い日々』(講談社文庫)もチタリングスに言及しています。
「ちょっとからくて歯ごたえがあり、日本人の酒の肴にはもってこいの食べ物だ。」

 ふむ。
 私は、とにかくモツ(内臓)が大好きで、特に腸(ホルモンとかシロと呼ばれる部位)に目がありません。だから、長い間、チタリングスを食べる日を夢見ていました。ところが、ロサンゼルス周辺のどのソウルフード店に行っても、
チタリングス? 昔はやっていたんだけどねぇ……」の答え。
 私はもう意地になって、「どこかやってそうな店を知りませんか?」と、店から店へと辿り歩きました。そうして、ある店から「ここになけりゃ、あきらめな」と紹介されたのが、スラム街ワッツ地区にある一軒でした。
 でも、電話をしたところ、この店も、
チタリングスを作る日は決めていない。あれは、手間のかかる料理だからさぁ」

Chitterlings_2.jpg 以来、週に一度は電話で確認。ついに、ある日「今日はあるよ」と言われ、小躍りしてワッツまで出かけたのです。
 店に入ると、
「あんたね、毎週電話してきたのは!」
 と、でっぷりと太った黒人のおばさんがガハハと笑いました。歓迎ムードにますます胸がふくらみます。
 ところがーー。
 目の前に出されたチタリングスを見て、胸のふくらみは一気に萎みました。内臓料理の真髄は、鮮度と下ごしらえにあると私は思います。だのに、だのにーーこの腸、一見して古い。だから匂いがきつい。トマトや香辛料と一緒に煮込んだというけれど、漂ってくるのはモツの強烈な臭みのみ。モツ自体は柔らかかったのですが、それは「じっくり煮込んだから」というより、コリコリ感の抜けた古いモツを使ったからだと察します。
「酢やチリソースをかけると、おいしいわよ」と、おばさんが教えてくれたので試したものの、それもムダでした。こんもりと盛られた目の前のチタリングスは、一向に減らないのでした……。

 あれから半日。今でも、自分の身体が内臓臭さを発っしているのがわかります。強烈。チタリングスとは、元来あのようなものなのでしょうか? 謎が深まります……。




訪ねたお店はJordans Cafe。危険な地域なので、明るいうちに出かけましょう。
Jordans cafeに関する他の情報。閉店の噂もあり。
photo by Yoji Abe, Redondo Beach, Califronia


J.jpg



posted by 柳田由紀子 at 18:38| 東京 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 立石のその他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

地名の起こり「立石様」は、とっても小さな石だった

「へ?」――私と母は、思わず顔を見合わせました。立石の地名の起源といわれる石、「立石様」を、「立石稲荷神社(立石祠)」に親子で初めて訪ねた時のことです。
 立石と隣駅、青砥の間、くねくねと狭い路地が続く住宅密集地の一角に、立石稲荷神社はあります。敷地内には滑り台もあり、神社と公園を合体したような趣です。
 そんな神社の鳥居をくぐって進んで行くと、石で作られた小さなちいさな鳥居があり、その奥に、囲いに守られて何かが祀られています。
「そうか、この中に立石様が鎮座しているのね」……と、思ったのですが、囲いの中をのぞいても、目に映るのは、地表にほんの少しだけ頭を出したなんの変哲もない石。
 うん? こ、これは……。母も私も、ある程度高さのある石を想像していただけに、「へ?」以外の言葉が出てこないのでした。

立石様.jpg  立石様アップ.jpg

 さて、ここで神社に立っている説明板を引用しましょう。
 葛飾区指定史跡 立石
 所在地 立石八丁目37番17号
 指定年月日 昭和51年3月6日
 古くから「立石様」とよばれ地名の起こりとなったものです。
 室町時代の文献、応永5年(1398)の『下総国葛西御厨注文』をみると、すでに立石の地名が出ています。江戸時代になると『江戸名所図会』『新編武蔵風土紀稿』にも奇石として紹介されています。
 地元の人々の崇敬と畏怖を集め、文化2年(1805)村の名主島田新右衛門らがこの地に石祠をたて、立石稲荷神社としてお祀りしました。
 この石が古墳の石材の一部であるか、巨石信仰の一種なのか確かな用途はまだわかっていません。しかし、この付近にいくつかの古墳が築かれていたことは、発掘によって確認されています。
葛飾区教育委員会

 立石様は少なくとも江戸時代から崇められていたんですね。昔の記述に、立石様=「牛が伏せているような形」という表現があるようですが、そうとも見えるし、そうでないとも言える……。だって、本当に小さな“路傍の石”風の石なんです。どうして、この石がそんなに大事なの? 謎が深まります。




 それで、ちょっと調べてみた結果が以下です。

立石様全景.jpg 立石様は、
*奈良、平安時代、道しるべとして使われていたら しい。
『江戸名所図会』に描かれた立石様は、現状より ずっと大きい。
* 江戸時代に採掘が試されたが、疫病が流行り中 止。以来、奉ることになった。
* お守りとして、人々が立石様を砕いて身に着けた り(日清日露戦争時には、弾よけのお守りとして珍 重されたとか)、地盤沈下したために、だんだんと石が小さくなった。
立石様の周辺から、埴輪片などが発掘されており、また、立石様が古墳に用いられた「房州 石」(千葉県鋸山付近でのみ採掘される)であることから、近年、「立石様=古墳の石室、天井部 分の一部(したがって中は空洞)が地上にあらわれたもの」との説が有力。

 とすると、立石様の下に、古墳が眠っているのでしょうか? なんだかちょっとロマンチックな話です。できることなら、その古墳の中に「ミツワの白タレ」(立石仲見世のモツ焼屋、ミツワの豚大腸焼き)をお供えしたい。きっと、立石様も喜んでくれるよ。

 なお、お終いに、立石様がらみの話題をもう2つ。
1) 京成立石駅には、下りホームの端に立石様コーナーがあります。
2) 立石の起源=立石様には異説も。『新編武蔵風土紀稿』には、「立石とは、熊野神社の神体である石剣」という内容が記されている由。そうなると、立石の起源は立石様でなく、この剣ということになります。

□立石様
住所:葛飾区立石8-37-17

参考文献


柳田由紀子の本/紫
posted by 柳田由紀子 at 18:07| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 立石のその他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月29日

NEWS 奥戸橋からスカイツリー

 川風が恋しくて、立石から奥戸方面に向けて奥戸橋を渡っていた時のことです。奥戸橋とは、永井荷風が『断腸亭日乗』で、
「雨中奥戸橋の眺望画のごとし」
 と綴った橋です(正式名称=本奥戸橋。京成立石駅から南口に。駅を背に、奥戸街道と突き当たったら左。駅徒歩約5分)。

スカイツリー.JPG
 

 ちょうど橋の半分まで行ったあたりで、私は川下を見ようと立ち止まりました。
 すると、右手にスカイツリーがーー。それは、ぐーっと画面が迫るような不思議な感覚で、本当にぐーっといった感じで、圧倒的なのでした。立石からスカイツリーが見えるとは聞いていたけれどーー。
 「奥戸橋からスカイツリー、眺望画のごとし」
 霧に煙った夜など、最高かと思われます。





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2011年02月02日

本場の「トリッパ」を食べた!

 立石とは関係ないのですが、モツ好きな私は、「チタリングス(Chitterlings)」(アメリカ黒人の伝統料理=ソウルフード)に続いて、イタリアで本場の「トリッパ」を食べてきました。下の写真がそれですが、申し訳ない、意地汚くも長距離列車の中で食べたので、ブレております……。

トリッパ


 私が「トリッパ」を食べたのは、イタリア北部のピエトラサンタ。この街には、拙著『二世兵士 激戦の記録ーー日系アメリカ人の第二次大戦』(新潮新書)の取材で訪ねました。ピエトラサンタは、「ゴシックライン」と呼ばれる険しい山岳地帯の麓にあり、日系アメリカ人で編成された第四四二戦闘連隊は、ここで死闘を繰り広げたのです。




 モツ好きな私は、イタリアで本場のトリッパを食すのを楽しみにしていました。トリッパとは、牛の胃袋を、トマト、ワイン、ニンニク、ハーブなどで煮込んだもので、ピエトラサンタのある北イタリアの郷土料理です。
 そのピエトラサンタで私が通いつめたのは、ドーモ広場の入口にある「Il Gatto Nero」というお店(左の写真。ドーモ門の左側)。リゾット、ラムのロースト、オッソブロッコ(仔牛の煮込み)、そして「トリッパ」。注文したメニューはすべて実においしかったです。

ピエトラサンタ


 ところで、牛には、ハチノス、センマイ、ミノ、ギアラと、4つの胃があります。東京の小洒落たイタリア料理店で食べた時は(そういえば、アメリカではまだトリッパを食べたことがありません。アメリカ人は、一般にモツを食べないのでイタリア料理店にメニューがないのです。マンハッタンの高級店ならあるのでしょうか?)、ハチノスだけを使用していましたが、「Il Gatto Nero」のトリッパには、少なくともハチノス、センマイ、ミノの3種類が入っていました。ギアラは入っていなかったように思います。

 ハチノス、センマイ、ミノ、それぞれの胃袋の食感を比較しつつ食べられたのがうれしかったですね。それから、切り身が大きかったので豪快な感じもしました。日本でトリッパを出すレストランは総じて高級店ですから、トリッパもちょっと気取って上品です。でも、本場にあっては、もっと剛胆な食べ方をされているという気がしました。ま、所詮はモツ煮ですからね。

ピエトラサンタ


 量がとても多かったので、持ち帰りをお願いし、翌日、東に向かう長距離列車の中で赤ワインを飲みつつ食べました。写真がブレているのはそのせいです。さらに言うと、「Il Gatto Nero」の店内写真もブレていますが、これはキャンティ・クラシコを飲み過ぎたせいです……。
 冷えたトリッパは、さすがにたいしておいしくなかったけれど、それでも食べ切ったのは、余分な脂肪分や汚れをきちんと取り去って煮込んでいるので、モツの臭みがなかった故でしょう。そのあたりにも、イタリア人の腕の確かさを感じました。

Il Gatto Nero
Piazza Carducci 32, Pietrasanta, Lu, Italy
Phone: 0584-70135
予算:毎晩さんざ飲んで食べて、ひとり35ユーロ程度。


柳田由紀子の本/紫


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2009年10月20日

大盛況だった「呑んべ横丁祭り」

呑んべ横丁ちらし.jpg 2008年秋に開催された「呑んべ横丁祭りーー呑んべ横丁を物語る日」は大成功だったようです。詳細は、主催者、福原忠彦さんのブログを参照ください。

呑んべ横丁.jpg 私は参加できなかったのですが、参加者から見せてもらったパンフレット『呑んべ横丁物語』(呑んべ横丁祭り実行委員会編)には感動しました。手作りカラーコピーのたった24ページの小冊子ながら、呑んべ横丁各店舗の◆成り立ち◆店名の由来◆ママの出身地◆お店のおすすめなどが、豊富な写真と一緒に掲載されています。

呑んべ横丁パンフ.jpg これ、欲しい人いっぱいいると思いますよぉ。この小冊子があれば、ちょっと危ない雰囲気の呑んべ横丁だってもう怖くない。市販してぇ!



→ふっきーの演劇ワークショック日誌 http://blog.livedoor.jp/happyfield/archives/2008-11.html

posted by 柳田由紀子 at 17:07| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 立石のその他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月15日

立石の賃貸情報・ワンルームは5万円前後から

 立石には、月々いったいいくらくらいで住むことができるのでしょうか? 数軒の不動産屋さんに調査してみました。
【賃貸マンション】
 駅から10分前後、ワンルーム(20平方メートル前後)、築20年=5万円前後。
 これが、ファミリータイプ(2LDKか3DK。60平方メートル前後)になると、築10年で11万円前後。
【賃貸アパート】
 アパートは、駅から10分以内、築20年以上のものが多い。40平方メートル近くある広い部屋でも、上限7・5万円といったところ。
【貸し店舗・貸しオフィス】
 たとえば、駅から4分、49・06平方メートル、1990年築=12万円。
 たとえば、駅から4分、80・41平方メートル、1996年築=29・5万円。




立石マンション.jpg 図面は、友人からたまたま手にいれた立石のある賃貸マンションの広告チラシです。ここには、*駅徒歩6分、*鉄筋コンクリート造5階建の庭付き1階、*3LDK(57・31平方メートル)、*外観タイル貼、オートロック、*浴室乾燥機、足下温風機、*ウォシュレット、シャンプードレッサー、*テレビモニター・インターホン、防犯用電動シャッター、*床下収納、和室掘炬燵、*南向き、風通り良好などと書かれています。
 実際、私も彼女の部屋を何度も訪ねていますが、広告文句に嘘のない感じの良い部屋です。立石には、バブル崩壊後、たくさんマンションが建てられましたが、ここもそのひとつ。友人は、この部屋が気に入って10年近く住み続けています。

 この部屋、チラシ(平成13年2月作成)には、賃料12万円と書かれていますが、今では10万3千円に下がったそうです。7年間で15パーセントのダウン。東京の不動産は、ようやく下げ止まりしたようですが、
立石は23区の東端だから、メインストリームの動向が反映されるのに少し時間がかかる」
 と、ある不動産屋さんが言っていました。

 今日は、立石に住みたいと考えている人のために情報をまとめてみました。再開発が進められれば、立石から“昭和30年代の薫り”は確実に消えてしまうことでしょう。「住むなら今」なのかもしれません。

→アットホーム http://www.athome.co.jp/


柳田由紀子の本/紫
posted by 柳田由紀子 at 13:21| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 立石のその他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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